何故今ミャンマーなのか?

近年の日本国内の産業界では大きな変化が起きています。日本の製造業はかつては安い賃金を求めて海外、とりわけ中国を中心としたアジアの国々に製造拠点の大きな移動を行ってきました。しかしその裏側の国内では深刻な人手不足が同時に進行していました。1990年代に入るとその労働力の担い手として外国人技能実習生に熱い視線が注がれました。

当初は海外に拠点を持つ水産加工業や縫製等の大企業が中心でしたが、やがて業種や規模の大小を問わずさまざまな企業がこの外国人技能実習生制度を活用して、人手不足と賃金上昇対策をしてきました。
このような日本の外国人技能実習制度を支えているのは、従来から中国はもとよりフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム等のアジア諸国でした。その中でもとりわけ中国人技能実習生の比率は非常に高かったのですが(数年前までは年間7万人の実習生のうち4.5万人が中国人)、中国自体の経済発展とそれに伴う中国内の賃金上昇や一人っ子政策による国民性・価値観の変化から、その希望者が毎年約1万人単位で減少し、ついに2016年度では2万人台となり、2017年度にはさらに減少が予想されており、ベトナム人と逆転するほどの状況になっています。しかしそのベトナムも供給可能人数は3万人程度と言われており、中国人実習生の減少を埋めることは到底適わず、この事実は日本の様々な業界に影を落としています。

技能実習生が抱えるもうひとつの問題が有ります。それが難民申請や失踪・逃亡です。失踪・逃亡に関しては受入企業の酷使によるケースもありますが、多くの場合は悪質なブローカーが実習生に対して「今よりもたくさん稼げる」という甘い言葉で誘ったり、日本にいる知り合いによる手引きによって高い給料をもらうために逃亡失踪するというケースが多く見られます。

さらに頭が痛いのは「難民法」の存在です。この難民法は誰でも難民申請をすることができ、難民認定されなくても受理してもらえます。受理されると結果的に何年にもわたる余計な猶予期間を実習生に与えることになり、自由に日本国内で働くことができるようになります。これは入管法の抜け道を使った悪質な行為なのですが、政府レベルでの対応が必要な事案です。

このような状況を打開する新天地として現在一躍脚光を浴びているのがミャンマー連邦共和国です。ミャンマーは歴史上も日本人には馴染みが深く親日国であり、国民の9割が仏教徒ということもあって、陰りが見えてきたベトナムの次の候補として一躍脚光を浴びています。中国人の日本への技能実習生派遣の減少を食い止めることが事実上不可能であり、ベトナムなどその他の国においても今まで以上の送出し人数の増加が見込めない現在、ミャンマー国の人材派遣に対する取り組みほど可能性を感じられる物はありません。そしてこれは単に日本国内の労働力不足を解消するだけでなく、 民主化の道を進むミャンマーという国の「国造り」にも大きく関わる大変重要なことだと思われます。

2015年度の統計資料によるとその失踪・逃亡人数は1位・中国人技能実習生(1902人) 、2位・ベトナム人技能実習生(787人) 、3位・インドネシア人技能実習生(200人)で、全体の割合で言うと中国人技能実習生が1位で60.59%、続いて2位にベトナム人技能実習生が25.07%、3位のインドネシア人技能実習生は6.37%です。

肝心のミャンマー人技能実習生についてですが、その人数は上記の送出し国と比較して極めて少ないのですが、一時期ご多分に漏れず多数の失踪・逃亡(その多くが難民申請)を出し、マスコミを賑わせました。この時期はまだミャンマー国としても技能実習生制度に対する取り組みが現在ほど明確でなく、それ以上に派遣会社の経験不足や認識不足により、実習生の認識と食い違いが生じたり、さらには部外者が介入したことがその主な原因でした。そしてこの事態を重く見たミャンマー国政府は2010年9月より約3年間技能実習生制度を中断させました。

その後ミャンマー政府はこの事実を真剣に受け止め、2013年5月にミャンマー政府と日本政府が人材交流に合意、8月より研修生・技能実習生の受入れが正式なミャンマー政府認可の制度として再開されました。それと同時にミャンマー国労働省、外務省及び在日ミャンマー大使館と協議を重ね、他の国にはない独自の罰則規定を設け、改善に向けて様々な努力が重ねられました。

その結果、現在ではその成果が実を結び、難民申請や失踪・逃亡の件数は激減し、技能実習生の健全な送出し・受入が実現しています。これらの罰則規定により技能実習生の難民申請が30%から5%に、また事前講習会参加者の失踪率は2%以下にまで減少しています。

ミャンマー国と日本国との取り決め、条約など

ミャンマーの前身であるビルマとは1954 年11 月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきました。それまでの軍事政権から2010 年の総選挙での民政移管、2011 年以後のテイン・セイン政権による改革の進展を受け、米国は2012 年11 月に宝石一部品目を除くミャンマー製品の禁輸措置を解除し、それまで冷え切っていた欧米との関係が急速に改善したことから、2012 年に日本は対ミャンマー経済協力方針を抜本的に見直し、延滞債務の解消及び円借款の再開への道筋を付けて民主化、法の支配の強化、経済改革及び国民和解を全面的に支援してきました。

2016 年に発足したNLD 新政権の安定的な政権運営はミャンマー及び地域の安定と発展に不可欠であり、日本国としては二国間の信頼関係を基礎に、新政権の直面する政治/ 経済等の課題をふまえ、政策立案への支援・ODA・民間投資を通じた支援が加速しています。

そこで技能実習生制度について2013 年夏よりスタート。それまでにも日本への若干の実習生の送り出しがありましたが、ミャンマー政府主導の正式な物ではありませんでした。そのため不法就労や脱走行為等の問題が多発したため、送り出し機関のライセンス認定制度、実習生に対する専用の労働パスポート、スマートカードの発行と、それに伴う各種違反に対する法的処置等、国をあげての本格的な法的整備が整いました。

その経緯は2014年末にエーミン労働大臣が訪日した際に、「ミャンマーとしてこれから日本に技能実習生の派遣を本格化させ、将来の国造りに必要な人材を育成したいので、JMAに日本側で健全・合法的な受入が行われるよう全面的な協力をお願いしたい」と云った趣旨の話があったことに端を発します。

急激に発展するミャンマーの現状を踏まえ、若者たちを単純に労働者として海外に派遣するだけではなく、技能実習生として日本に送出し、その技術を修得し本国に帰り自国の発展に寄与する制度としての必要性ゆえのことであると言えるでしょう。それを受けて、ミャンマー人技能実習生の失踪・不当難民申請防止策或いは技能実習生の健全な送出し・受入の方策(一例として両国政府間による労働者保護の為の政府間協定締結への働きかけ、対日送出し前の事前研修の充実、不健全な受入機関・企業の排除など)に関しミャンマー労働省、外務省及び在日ミャンマー大使館と協議を重ね、また日本の厚生労働省、法務省などとの情報交換を行った結果、2015年8月にミャンマー労働省より「JMAが在日ミャンマー大使館のサポート業務として求人票の記載内容の事前確認および受入機関・企業の実態把握を行い、その審査・確認結果を在日ミャンマー大使館に報告して欲しい」旨の要請がありました。つまり大使館はJMAの報告を踏まえた上で求人票の最終審査を行い、ミャンマー外務省を経由して労働省に通知するという流れをとることが決定されました。

この一連の動きは、ミャンマー人技能実習生の失踪・不当難民申請の防止や健全な送出し・受入が出来るようにするためであり、それだけミャンマー国が国をあげて日本独特の「技能実習制度」への関心と理解を深め、日本への技能実習生派遣の機運が高まっていることの表われであると考えられます。

太刀株式会社 「東南アジア人材インターン支援事業 ミャンマー人技能実習生の日本企業での受け入れを支援」の内容